南蛮文化から和装下着への転化、その起源

第1章で触れた通り、襦袢の語源がポルトガル語 gibão (ジバオン)に由来することは、服飾史上きわめて象徴的です。

ここで重要なのは、語源が外来であるという事実それ自体よりも、外来衣服が和装の重ね着文化に取り込まれ、別種の機能をもつ衣服へ転化した点です。

すなわち、襦袢の歴史は「西洋服が日本に入った」という単純なことではなく、異文化由来の衣服概念が日本文化の中で受け入れられ、和装文化に変化をもたらせたということです。

日本の衣生活にはもともと重ねの思想があり、肌と外衣のあいだに複数の層を置くことは珍しくありません。

しかし外来由来の襦袢は、着物文化の中に溶け込み次第に和装化されることで、単に『下に着る物』ではなく『衿元・袖口・裾さばき・着姿を調整する内側の着物』へと変わっていったのです。この変化は、輸入文化の受け入れ方が単なる模倣ではないことを物語っていると言えるでしょう。

見る事ができる文献資料からは今のところ、現代的な長襦袢の完全な成立時期を断定することはできませんでしたが、文化庁データベースでは、江戸・明治・大正期に属する多様な襦袢・長襦袢が確認できます。少なくとも近世後期から近代にかけて、長い丈をもつ襦袢が意匠・用途の両面で定着していたことは確実です。

つまり「長襦袢」は、単なる付属品として後から補われたのではなく、近世から近代への着物文化の成熟とともに今の形になったと言えるでしょう。

連載 日々、絹子さん。